30周年記念学習講座 シリーズ2

 2004年10月1日・15日の2回にわたって「日本の中の在住外国人を再認識~旧植民地出身者ルーツプラス在住外国人そして多民族共生をめざして~」のシリーズ2を開催しました。1回目はワールド・キッズ・コミュニティの吉富志津代さんを講師に招いて、地域の多文化な子どもたちへの教育活動について学びました。ここでは、2回目の友沢昭江さんのお話を一部まとめたものをご紹介します。 

 

母語保障の取り組みと「継承語」教育

友沢昭江さん(桃山学院大学)


■母語について

  一般的に母語といわれていますが、専門的には状況によっていくつかに分類されます。

 最初に習得した言語を第一言語と呼びます。例えばインドネシアのような多言語国家の場合、バリ島のバリ人はバリ語が第一言語になります。子どもは、家庭ではバリ語で育ち、小学校3年生まではバリ語で教育を受け、4年生以降はインドネシア語で授業が行われるので、高校生ぐらいになると最も使用場面が多い言語はインドネシア語になり、その場合はその人にとってインドネシア語が主要言語と呼ぶことができるでしょう。しかしバリ語は家庭や地域で使用され、第一言語として維持されることが多いのです。

次に、家庭の中でその社会の主要言語とは異なる言語が話される場合、その言語を家庭言語といいます。これは日本のニューカマーのこどもたち、特に小さい時に日本に来たか、日本で生まれた人で、家庭内では日本語と異なる言語が使われている場合をさします。例えば、すでに日本語が主要言語になっているベトナムの子どもにとって、ベトナム語は第一言語であっても使用場面が家庭内に限られる場合などは家庭言語というほうが適切でしょう。家庭という狭い領域の中で使われているツールとしての言語です。

 また、継承語というのがありますが、これは家庭言語とも絡んでくると思います。例えば在日韓国・朝鮮人も3・4・5世になってくると、家庭の中でも朝鮮語・韓国語はほとんど聞かれません。儀式とか文化に関わるような語彙は使われますが、それは家族間のコミュニケーションを担う言語ではありません。しかし自らのアイデンティティのよりどころとなる民族の文化を支えている言語という点では大きな意義があり、継承語と呼ばれます。これは移民国家であるカナダなどで形づくられた概念で、英語では“Heritage Language”と言います。単に伝えるというだけでなく、「価値あるもの」という意味を含みます。「世界遺産(World Heritage)」などに使われる“Heritage”です。

 

■日本語指導が必要な外国人児童・生徒

 文部科学省が1991年から「日本語教育が必要な外国人児童生徒」調査を行っています。開始当時5,463人だったのが、昨年(2003年9月1日)現在、19,042人になり12年で4倍弱まで増えています。

もちろん突然子どもたちが増えたのではなく、その親が増えたということです。日本語が必要とされた子どもは、北海道から沖縄県まで0というところはありません。すなわち日本中に日本語指導が必要な子どもたちがあまねくいるということです。一番多いのは愛知県(2,776人)です。愛知県と隣接する静岡県(1,767人)は日系ブラジル人が多く、ポルトガル語を母語とする子どもたちが大半です。

 「日本語指導が必要な子ども」が教育の場で取り上げられるようになったのは、1990年に入管法が改正され、日系人に就労が認められたことや、90年代に中国残留邦人とその家族が多く帰国してきたことなどと関連があり、非常に最近のことです。そのために対応が遅れています。日本語指導が必要かどうかの判断も、それぞれの学校、教師に任されています。友だちと会話し、教師の言うことも聞けると、「ああもう日本語指導はいらないよね」となって指導を受けられない子どももいれば、「だいぶできるのだけどまだまだ」ということで続けて指導を受ける子どももいるかもしれません。ある一定の基準に基づいて判断するわけではないので、統計が実態を反映しているともいえない面があります。

 大阪府の「日本語指導が必要な子ども」の特徴は、中国語を母語とする子どもが多く、かつ高校生の割合が高いということです。愛知県では高校生は2.4%と少なく、ほとんどが小学生です。年齢の低い子どもが多いとも考えられますが、高校に進学できていないということも考えられます。それはポルトガル語を話す人が多いということとも関係があるでしょう。高校に入るには、何らかの選抜を通過しなければならないわけですから、それに対する配慮を行わなければ、高校へ進学するのはなかなか難しいと思います。中学、高校と進むにつれ、授業で使われる語彙、表現などに漢字を基盤とするものの割合がぐんと高くなりますが、大阪では中国語を母語とする子どもが多く、その点では有利になります。大阪は高校進学に際して、比較的早い段階から様々な措置を講じたこともあり、進学率が高くなっています。


■日本語学習優先から母語(継承語)を取り入れた教育へ

 「日本語指導が必要」ということで、そうした児童・生徒に対して日本人教師が日本語で日本語を教えているケースがほとんどですが、必ずしも効果があがっているとはいえないようです。日本語が習得できていないというだけではなく、学科目の理解が十分でないということが指摘されています。子どもたちに真の学力をつけるためにはどうすればよいか、という議論のなかで注目され始めたのが、子どもたちの母語を教育の中に組み入れるということでした。

 一つは効果的な日本語指導のために、母語を媒介語として利用しようというものです。例えば小学校2年まで中国で育った子どもはそれまでに獲得した知識や中国語の言語能力をもっています。日本語だけで日本語を教えるというやり方では、子どもたちの持っている能力を封じ込めることになり、ハンディを背負わせることになります。中国語ならすぐに分かることが、日本語で伝えられることで理解できないということも多いのです。「中国語で話させてみたらものすごく頭のいい子だった。黙って寝ているだけの子だと思っていたのに。」ということが起こるのです。子どもたちの母語を利用することで日本語がより早く、より正確に理解してもらえるというわけです。算数や理科等の学科目を教える場合、日本語だけでは内容を十分に把握させることはむずかしくても、母語を用いて説明すると理解できることも多いわけです。理科の内容が理解できるレベルまで日本語が上達するのを待つのではなく、彼らにとって理解できる母語でまず理科の説明を行い、理解した内容を日本語に置き換えるというように、順番を逆にするのです。わからない日本語で新しい情報を理解するのは非常に難しいことです。一つの言語を通して獲得した認知力や知識などは、その言語能力が十分に発達することで、もう一つの言語の獲得によい影響を与えることが分かっています。これを「(正の)言語転移」といいます。

 もう一つは、子どもが日本語使用へと急速にシフトしていくことで、親とのコミュニケーション自体が成り立たない状況が出てきています。年齢が高くなってから来日した親たちの日本語習得は必ずしもうまくいってはおらず、また十分に自分たちの民族の言語を子どもに教える時間が持てない状況があります。家庭内での親子のコミュニケーションを円滑にする。そのための母語教育という考え方です。もちろん親が日本語を学習する方法もありますが、状況的には難しそうなので、子どもたちが母語を伸ばすほうが早いのかもしれないし、子どもたちにとってもプラスだと思います。あとは例えばべトナムにルーツを持つ子どもたちが、日本という国の中で誇りを持って育つためには、ベトナムのことを知り、そのルーツに自らのアイデンティティを見出すためにも母語を学ぶ機会を作ることは非常に重要です。また、彼らが生活する日本社会にとっても、ベトナム語能力をもつ構成員は貴重な社会の資源であり、豊かさに貢献する存在でありうるのです。

 

■実現にむけての問題点

 日本では過去10年間において外国人、あるいは日本語を母語としない人たちが急増しました。アメリカなどの移民国家においては3世代かかって移民先の言語へとシフトするといわれますが、日本においてはそれをはるかに上回る速度で日本語へのシフトが進行し、母語の喪失がみられます。総人口比でいえばまだまだ少数であることもあり、彼らの母語を育成・保持していくことに対して社会的理解が十分に得られてないということがあります。

カナダ、アメリカ、スウェーデンなど移民政策を採っている国では、移民の定住に関しては言語習得を含めて国の責任としてなんらかの施策がとられています。ところが日本の場合、いわゆるニューカマーと呼ばれ、近年急増した日系人、中国残留孤児婦人の家族やベトナム難民たちは、移民として受け入れているわけではないので、彼らやその子どもたちの言語を保持する責務は自分たちにはないというのが、国の考え方だろうと思います。画一的で標準化志向が強い日本の公教育においては、日本語学習のためのスタッフや教員を配置し、教材を開発しようという動きはみられますが、日本語以外の言語を公教育の場において育成しようという意識はまだまだ少ないといえます。少子高齢化社会を目前にして、海外から労働力を輸入するということが真剣に議論されるようになっていますが、移民を受け入れるように国の施策が変われば、彼らやその子どもたちの言語教育をどうするかということも今後注目すべきことだと思います。

 母語教育をだれが担当するのかという点については、子どもたちと言語を共有する人たちが教育の現場に立つ機会が保障されていないということがあります。アメリカのニューヨーク市では、教員採用に国籍はまったく関係ありません。ニューヨーク州により定められた教職課程を修了し、その後の教員採用試験に合格すれば国籍は問われません。移民一世たちにとってバイリンガル教育、すなわち移民のこどもたち、または英語を母語としないこどもたちの教育に携わる教員の仕事は、自分の強みを発揮できる職業として魅力的なものとなっています。雇用の安定にもなりますし、移民たちが社会に貢献できる場ともなっているわけです。日本でもきちんとした採用基準を設けて、そのラインをクリアした者を国籍などに関わらず教員として認めるようになれば、状況はかなり変わってくると思います。

 母語以外に母文化の保持ということで、音楽とか料理とかダンスなどが課外活動としてよく行われていますが、言葉の学習は一回や二回の単発的ではだめで、じっくりと地道に何年も継続しなければいけません。カミンズという著名な学者によると、その社会とは別の言語を持つ子どもが、その社会の主流言語を母語として持つ子どもと同等程度の学習言語を獲得するには、配慮のなされた環境においても5年から7年かかると言われています。ですから小学校1年生に入った子どもが小学校を出るまで、さらには中学校、高校でも特別に配慮した教育を行うことによって、特別に優秀な子どもでなくとも、母語と社会の主流言語の両方の能力をもつバイリンガルに育ちうるのです。じっくり覚悟を決めて継続して教育するということでないと母語保障ということは難しいのです。母語に触れる、母語を知るということはできても、保障となるととても大変だと思います。